53加納宿から河渡宿へ  歩行地図
 加納栁町-加納栄町-清水町-本荘-鏡島-鏡島弘法-河渡橋  6.7 km
53 加納宿
  ここは加納城を中心とする中山道美濃16宿で唯一の城下町であった。現在のJR岐阜駅の南側の加納地区に加納宿があった。このため加納宿の東西には番所が,設けられ、東の入口には6つの枡形が設けられていた。町並みは21町37間(約2.4km)、21町に分れていた。岐阜は戦時中空襲にあい、町並が一変してしまった。古い家はあまり残らず、旧の道筋だけが残っている。
本陣1、脇本陣2、旅籠35

 2009年10月24日、2泊3日の予定でのぞみ1号で東京を発ち、名古屋から、新快速で岐阜8時過ぎ着ということで、岐阜へやって来ました。今日は垂井あたりまで行きたいなと思います。3日目は滋賀県は武佐までの予定なので、相当強行軍となり、うまく事が運ぶかわからないというところ。脇本陣跡までは前回の写真と使います。
 加納柳町~加納栄町3丁目
東番所跡を過ぎ、善徳寺で右折します。ここも枡形の一つで、このあたり加納宿で最も曲りくねっている所とか。問屋場跡を過ぎると、正面の「薬局」の所を左折する。店の前に「中山道」の道標があります。

 清水川を「ひろいはし」で渡り、真っ直ぐ行くと、「加納大手町交差点」に出る。ここに加納城大手門の記念碑が立っており、真っ直ぐ行くと「加納城跡」である「加納公園」がある。時間がないように思えるので、寄らずにすませた。交差点を右折すると加納宿の真っ直ぐで細い道が続いている。
  右折するとすぐ左手に、不気味なビルが現れた。立入禁止になっており、入口前に案内図が立つが良く見えない。旧加納町役場で大正15年の建築で、戦後一時米軍に接収され、昭和60年から市学校給食会が使っていたそうだけど、解体されるのだろう。

 うなぎ料理の二文字屋が左手にある。元は旅籠で創業が今から370年前の元和6年だそうです。左甚五郎が宿賃の代りに残したという、ウサギの欄間で有名。
 本陣の別棟だったという当分本陣跡」からすぐに加納桜道を横断し西へ向かいます。本陣跡をどういう訳か通り過ぎてしまった。
 加納宿脇本陣だった森家の標柱が立っていますが、ちょっと立派な門があった。

 ここまでが前回で、ここから今回の旅が始ります。岐阜駅から旧道へ戻る前に、加納天満宮へ寄ることにした。ちょうど「天神祭」が始る時で、境内に「山車」が出されていた。からくり人形が乗っていて、早朝で動いてはいなかった。
 境内には、岐阜和傘を始めた松平光重をたたえる、「傘祖彰徳碑」がある。  8:30

加納栄町3丁目~清水町2丁目
  岐阜駅に続く、「加納栄町通り」を横断します。信号がないので走って行った。右手に「秋葉神社」があり、この神社は宿内にいくつもあって、火事が多かったことを示している。
 ずーと行った左手にも秋葉神社があって、ここは「西の番所」があった所で、境内に碑が立っている。このあたり木戸などがあって通行人を監視していたという。手前のボランティアで案内所をやっている家で、資料をたくさんもらった。この付近は空襲でほとんど焼けてしまったそうだ。8:50

清水町2丁目~西荘
 左に「阿賀多神社」など見ながら行くとJR高架の下をくぐることになる。高架下を過ぎて左折をして行く。清水10丁目の5叉路へ出て、さらに西へ進み、「鹿島町8西」交差点の右手脇に「多羅野八幡神社」があります。この辺りに茶店があり、旅人に人気の「だらり餅」が売られていたという。  9:30

西荘~鏡島
 広い道路を横断すると、右側に「鏡島大橋」が見え鏡島(かがしま)地区へ入って行く。右脇を用水が流れている。ここの地名の由来はこの先の「乙津寺」にある。
 突き当りを左折して行くと、「乙津寺」への石柱が立っているので、そこを入って行く。
 道なりに右へ曲っていくと、「乙津寺」の山門が見えてきた。9:50

 「乙津寺」
 縁起によると、738年、行基が乙津島と呼ばれていたこの地に草庵を築いたのが始りで、813年(光仁4年)弘法大師が嵯峨天皇の勅命を受け、秘法を用いて龍神に向け鏡をかざしたところ、海だったこの地が桑畑に変わった。よってこの地を「鏡島」といい、寺を「乙津寺」と名づけたという。空襲により建物の殆どが全焼するが、本尊などの重要な宝物は住職が抱いて長良川へ運び出して難を逃れたそうだ。「一条兼良正室、東後方墓」。「応仁の乱」で「一条兼良、正室東御方」はこの地に逃れてきて、ここで没している。この墓(宝筐印塔・貴人の墓)は東御方のものと伝えられており、現在まで大切に供養されてきたという。

鏡島~小紅の渡
 寺の裏から「小紅の渡し」の案内板により、堤防の方へ向った。堤防を降りて、川の方へ行くと、乗場があり、対面に小屋が建って、舟が見えている。手を振るとこちらまで迎えに来てくれるそうだけど。
 小紅の渡しは、乙津寺への経路として、1km程下流の「河渡の渡し」とともに栄え、現在では県道文殊・茶屋新電線の一部となっていることで、岐阜市が管理している、現役の渡しだということです。  10:05

小紅の渡~河渡橋
 渡しからまた寺へ戻り、中山道を西へ行くと右手に神明社があり、さらに進むと右手に北野神社があります。参道が続き、由緒がありそうであったが、特に案内板はなかった。
 土手に出ると道なりに斜めに、「河渡の渡し」があった。終戦近くまで渡し船があったそうで、現在は橋ができて、もちろん残っているわけもなく、河渡橋」を渡ります。 10:33

河渡橋~河渡宿
 橋を渡り、向う側の土手に着いたら、土手に降りて、橋の下をくぐり、河渡側の渡しがあった地点まで土手を歩いて行く。
 土手から階段を下りていくと、「いこまい中山道河渡宿」のオレンジ色の幟が立っていて、ここから第54宿「河渡宿」が始る。

10:50

 
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