25望月宿宿から芦田宿へ 歩行地 図
 望月宿-望月小-茂田井-立科町-芦田宿  4.8 km
25望月宿
 ここの場所は古くから馬の名産地として知られ、「朝廷の牧場」として保護されていた。、毎年旧暦8月15日の満月の日に馬を朝廷や幕府に献上していたことから「望月」の名が付いたとも言われる。特に大きな宿ではなかったが、馬を売買する人で賑わった。
本陣1 脇本陣1 旅籠9

2008年7月6日 
■望月宿~茂田井
●町並み
 泊まった宿が、宿の中程なので、入口に戻ってみました。ここも交通機関の変遷で寂れてしまったようですが、古い旅館や出桁造り、連子格子、古い看板、卯建などのある家が多く、当時の面影をしのぶことが出来ます。宿の長さは6町余であった。●大和屋呉服店。土蔵を備えた、結構風格のある店。 8:40

●旅館「山城屋
 江戸時代旅籠としては創業して今でも現役の旅館です。外観は古いですが、内部は普通の旅館ですが、設備も良い。古い写真も飾ってあります。  街道ウオーカー専用プランというのもあり、軽井沢からだと少々きついがおすすめ。ホームページがかなり充実しています。外にも、●旅籠らしい家が所々に見える。町並みは昔の雰囲気を残すべく、努力されているよう思える。

●本陣跡
 昔の本陣跡に立派な門があり、今は望月歴史民族資料館になっている。開場が9時で待っていようかと思ったけど、まあやめといた。街道の資料などがあると思う。
 この資料館の隣りは●本陣を勤めた「大森家」の子孫でしょうか、現在は小児科医院を開業している。ここに「御本陣」の看板が掲げられていた。

●脇本陣跡[鷹野」
 平入の切妻造、2階がせりだした、出桁造りという形式。
●問屋兼旅籠(真山家住宅)
 望月宿最古の建物である、あいにく扉は閉められたままで外観しか見られない。・・・建物は明和3年(1766)のもので、当時の様子もほとんど残されている。くぐり戸の脇が板の間になっており、問屋として荷が置かれた作りが良くわかる。・・・・・とある。国の重要文化財です。向かいの家には面白い下駄の看板」が下がっている。

●大伴神社
 宿外れにあり、少々きつい石段を登る。注連縄の架かる鳥居がある。望月氏の祖先の大伴氏のまた大祖神である、天忍日命祀られています。
 延喜式内社 景行天皇40年の鎮座と伝えられ、現本殿は春日造り 延宝5年(1677)の建築である。・・がここも覆屋に収められて見ることができない。境内には江戸後期の道祖神が沢山集められている。9:05

 望月宿を出ると、道は、青木坂という上り坂になる。小学校の前にあるのが●「御巡見道標」。この道はどこへつながっていたかはわからないという。   小学校の前を過ぎるとまもなく国道から右へ下りる道があり、ここの下り口に●「中山道茂田井入口」説明板が掲げられている。ここから細い道を行くと「間の宿」で栄えた「茂田井」集落へ入る。9:35

■茂田井~芦屋宿
●間の宿茂田井
 寛保2年の大洪水で望月新町が道ごと流されたり、本町も大きな被害を受けたため、茂田井村を望月宿の加宿にしようと江戸幕府に願い出たが却下された経緯がある。
 明治元年11月19日、天狗党の中山道通過に際しては、茂田井村が小諸藩兵400人程の宿にとなっている。

●武重本家酒造
 茂田井には武重本家と大澤家の二つの蔵元があって、こちらの方は国登録有形文化財に指定されている。門には、杉の葉を毬形にした「酒林(さかばやし)」が下がっている。見学できるようだけど、どうも入りづらい雰囲気である●若山牧水の歌碑
 若山牧水も何度かここを訪れて、歌を残している。3首ほどの歌を刻んだ歌碑が造られている。9:45

●大澤酒造
 大澤家は茂田井村の名主を代々勤めた家柄で、しなの山林美術館、民俗資料館を併設している。白壁がはげ落ちていたりして、歴史というか古さを感じないわけでもない。こちらの方も外にお客が見あたらず、見学するのにも気を遣う必要があるようで、遠慮させてもらった。少し坂を登っていくと、その横の古壁には高札場跡の案内板がある。

茂田井の宿はこの高札場あたりが一番の賑わいを見せていたという。この先には木造としては珍しい●3階建ての家も見られる。また左手に大きな●馬頭観音の石碑がある。この馬頭観音は高さ2m以上もある大きなもので、あんまり例を見ない。急坂を上り、茂田井のはずれ、左手に一里塚跡の案内板があるが、大きな車がぴったり止めてあって、写真を撮れなかった

 。一里塚を越えると、やがて大きな交差点に出る。坂を下り、しばらく歩くと「芦田川」が流れ、橋を渡って県道40号線の交差点を越えた辺りが「芦田宿」入口になる。宿入口には「中山道 芦田宿」と書かれた標識と「常夜灯」が新しく設置されている。
芦田宿へ続く
10:20

 
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