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 33 贄川宿から奈良井宿へ 歩行地
 贄川関所-上町-新道-桃岡-楢川支所-平沢-奈良井大橋-奈良井駅  7.3 km

33贄川宿
 「贄川宿は」木曽谷の北に入口にあたり、木曽十一宿はここから始る。「木曽路はすべて山の中である・・・」で始る、「島崎藤村」の「夜明け前」は木曽十一宿が舞台となっていて、険しい山の中に宿場が続いていく。贄川宿は何度も大火に見舞われ、特に昭和5年の大火による被害が大きく、古い町並みは、ほとんどが失われてしまい、面影はほとんど残っていない。贄川(にえかわ)の名前は、昔熱い温泉が噴き出ている河原があり、煮えたぎった熱湯だったから(ニエカワ)になったと伝えられている。
本陣1 脇本陣1 旅籠25

2009年6月7日 本山宿からの続き
■贄川関所~新道
 贄川駅を通り過ぎ、関所橋を渡ると左手に見えるのが●「贄川関所跡」で、昭和51年に復元されたもの。初めは「福島関所」の予備的番所であったが、贄川が木曽十一宿の始りにあたっていたので、正式な関所となった。女改めもあり、女性の出入りは特に厳しく取り締まった。また「木曽檜」や「檜細工」の流出を防ぐ役目も負っていた。
 本山から来る元々の旧道は贄川駅の裏側を通っていて、関所の前の道が本来の中山道にあたる。   11:45

●贄川宿の町並
 関所の先は、贄川宿である。が、昭和5年の大火でほとんど焼けてしまって、古い家も残っておらず昔の面影がない。公民館の前が本陣だったというが、脇本陣も含めて案内板の類がないのでどこがなんだがわからなかった。いくらか●古そうな門を備えた家が数軒あった。
 目ぼしい旧跡もあまりない中で、津島神社と秋葉神社の鳥居の奥には、二つの神社の祠と、道祖神と書いた石碑があった。  11:55

 宿の右側奥、JRの線路を越えた国道脇に楼門が見え、●観音寺がある。高野山金剛峰寺を本山とする寺で、本尊は十一面観音。楼門は、寛政4年(1792)に再建されている。寺の奥に麻衣廼(あさぎぬの)神社がある。麻衣は、木曽の枕詞だそうだが、社殿は、天正10年(1582)に戦火により焼失し、文禄年間に現在地に再建された。
●深澤家住宅
 左手に唯一といってもよい古い町屋造住宅が残る。元の屋号を「加納屋」と称し、行商を中心としてた商家を営み贄川きっての商人となった。主屋は、嘉永7年(1854)の建築で切妻造り。独特の正面外観、整然とした架構など、木曽地方の商屋建築の到達点を示す建物として価値が高いといわれている。

■新道~桃岡
 さて宿も終りになって、旧道は右に曲り、本来は国道左手にわずかに残る道を通っているということだったが、線路が敷かれ、国道も拡張され、歩道がなく危険で、新道を歩いた方が良いということだったので、●中央線のトンネルの脇を通る新道を歩くことにした。がしかし、家に帰ってからいろんな情報を見てみると、国道に歩道が造られ、歩けるということだった。おかげで「トチの木」、「中山道の碑」など見逃してしまった。いつかリベンジで歩きたいものだ。 国道と新道が合流する所に●「押込の一里塚跡」というのが、塚はなく標柱だけが立つ。国道と新道の間に旧道が通っていたことになるらしい。 12:25

■桃岡~道の駅「木曽ならかわ」
 一里塚を過ぎて、JRの線路をくぐり、国道へ出る。このあたり漆器店が目についてきた。「龍門堂」という大きな店の手前で●左手に残る旧道へ入って行く。ここは「長瀬」という集落で細い静かな道が続いていた。
 この旧道は短く、すぐ国道へ合流してしまい、再び国道を歩いて行く。しばらく行くと右手にコンビニがあり、「道の駅木曽ならかわ」がある。旧道は道の駅の●裏側に続いているので右斜めへ入って行く。ここも「漆器祭り」の為人出が多く、レストランも満杯で食事にありつけなかった。  13:05

■道の駅「木曽ならかわ」~平沢
 「道の駅」の裏側をしばらく行くと、「楢川支所」があり、諏訪神社に芭蕉句碑があるというが、うっかりして見逃した。その代り、少し先の左手に●二十三夜碑があった。文化7年(1810)建立のもので詳しい案内板が立てられている。
 いよいよ●「平沢」の町へ入って来た。「木曾漆器祭り」の真っ最中で、おかげで宿内は歩行者天国で、ゆっくり見られたが、なんせ人が多く、写真もおちおち撮ることができなかった。 13:25

●平沢の町並
 木曽は狭隘の地が多く、農業に適さず、山で暮しを立てる必要があった。木曾には檜を始め豊かな森林資源と漆器に適した気候風土に恵まれ、古くから漆器が発展してきた。中でも「平沢」その中心となっていた。街道沿いに漆器を製造、販売している店が並んでいる。江戸の頃は「奈良井」の方が盛んであったが、明治以後「駅が平沢に造られこちらの方が盛んになってきたということだ。
 平沢は「伝統的産業指定産地」に指定され、2階建の切妻造平入の面格子を備えた特徴ある建物が並んでいる。      

 毎年この時期に「木曾漆器祭」が行われるということはわからなくて、宿泊予約をしてみて初めて知ったくらいだった。●「ちぎりや」は創業寛政年間で「漆資料館」というのが併設されていた。きょろきょろしながら歩くばかりであったが、なにせ人が多く、ゆっくり見て回れない。しかし車を進入停止にしてあり、それなりに楽しめた。結構安い漆器もあったりした。平沢の宿も800mくらい続いて終りになる。    13:35

平沢~奈良井大橋
 平沢を出るとJRの踏切を越え、国道に合流する。国道に出ると、奈良井川が右手に流れている。江戸初期の中山道は川の向うを歩いていたらしい。右岸には自然歩道も造られて、そこを歩いている人もいる。
 「奈良井大橋」へ行く道を●右折して橋を渡る。橋から奈良井宿までは1Kmほどである。●奈良井川に沿った気持ちのよい道で、これをのんびりと歩いたが、平沢からの臨時バスや車で渋滞し、車道の方は大変な様子。

■奈良井大橋~奈良井宿
 やがて●「奈良井駅」に着いたが、ここも大変な騒ぎで、駅前でのんびり案内板を見ていたら、進入する車でじゃまといわれた。駅前に檜の立派な●「奈良井宿」の標柱が立っている。本当は駅前を右折して八幡神社へ行きわずかに残るという杉並木を見たかったが、人混みで忘れてしまい、一緒に奈良井宿へなだれ込んでしまった。    14:00 

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