中 山 道
 



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 3  浦和宿から大宮宿   歩行地 図
 高砂町-玉蔵院-仲町公園-市場通-大原陸橋-埼玉新都心-氷川神社        5.46km

  3 浦和宿
 浦和宿は日本橋から三番目の小さな宿駅であったが、江戸に近く商業が発達し、二七市が立って賑わった。宿の起立は家康の鷹狩りの時の「御殿」設立が契機とされる
本陣1、脇本陣3、旅籠15

2017年5月4日の続き  改訂版
■調神社~高砂町
 調神社を過ぎると浦和宿に入るのだが、その入口付近に旧家が数軒残っている。左手に●創業慶応3年(1867)という原田表具店。次に右手にあるのが●明治初期創業の青山茶舗である。
 高砂町に入ると歩道に●「中山道浦和宿」という新しい石碑が立つ。ここから先、浦和宿に入るわけだが、当然ながら通りは●浦和駅前に入って行き、宿場の面影は微塵もなくビル街である。    12:40

■玉蔵院
 浦和駅西口交差点右手奥にはJR浦和駅が見え、「コルソ」などが建ち、賑やかな商店街になっている。少し先に「門前通り」という石碑があって、通りの左奥には●玉蔵院」の山門を見ることができる。
 現在は敷地が削られ、南北に走る道路のため手前の●山門と奥の●本堂に分断されてしまっている。空海により創建されたといわれ、元々浦和の町は調神社やこの玉蔵院の門前町として栄えていたわけである。
 江戸時代は「関東十壇林」の一つにも数えられていたほどだったという。 左側に建つ●地蔵堂は県の指定文化財。
12:50

■中町公園・本陣跡
 仲町交差点の先、左手に入った所に●仲町公園がある。ここが浦和宿の本陣跡である。浦和本陣は星野家が代々勤めたが、現在本陣、脇本陣などの建物は残っておらず、記念碑が仲町公園に残されている。本陣は結構大きく、敷地約1200坪、建坪222坪をはじめ表門、土蔵、物置、番所などがあったそうだ。表門だけは明治に入り●大間木の大熊家の表門として移築されている。この門は赤山街道大宮道を歩いた際に見ることができた。 案内板 

■中町公園~市場通
 その先に市場通りが左手へ走り、その奥が常盤公園。通りの入口に面白い●モニュメントがある。浦和宿は二七市で栄えた場所で、そのことにちなんで、ナスとかカボチャなどを売る農婦の像となっている。市は毎月二、七の日計月6回開かれるので二七市とか六歳市とかいわれた。
 その北側、左手奥に●慈恵稲荷神社があり、ここが二七市が立っていた跡という。●神社の石碑と案内標柱も立っている。市の日には鳥居を中心に南北に市が立ったという。●石造りの小さい祠も残っていて、解説によると・・・・・「浦和の市は戦国時代に開設されたものと考えられ、天正18年(1590)には豊臣秀吉の家臣である浅野長吉から喧嘩口論などを禁じた「禁制」が出された。・・・・・その天正18年の銘のある●「御免市場之杭」というものが祠の柵内の中にある。                      13:35 

■市場通~大原陸橋
  神社の先、「常磐局前」バス停の所に●古びた旧家が一軒ある。 街道はJRの高架を越えて、「遊々通」という通りを通って行く。北浦和駅前を通り過ぎる。 数分歩いた左手に●廓信寺があるり、入口に「サツマイモの女王、紅赤の発祥地」と記された説明板が架かっている。  サツマイモといえば「金時」が有名だが、その「金時」の正式名は「紅赤」という。その紅赤を発見した農家の主婦 「山田いち」の菩提寺が廓信寺だそうだ。
 しばらく歩くと大原陸橋東交差点に出る。その手前左手に大きめの●正徳4年(1714)の庚申塔が鎮座している。
 交差点のちょっと先に●一本杉の仇討ち跡と記された案内板と石碑が立っている。幕末の文久4年(1864) 「一本杉の仇討ち」として語り継がれた事件が起こった場所という。詳しくは案内を読んで下さい。      14:25

■大原陸橋~さいたま新都心
 ●与野駅東交差点に来た。赤山街道大宮道が交差する所である。このあたりには立場茶屋があり、「富士、浅間、甲斐、武蔵、下野日光、上州伊香保など」関東六国の山々を見渡せる良い名所として知られ、「六国見」と呼ばれたいたそうである。 現在では全く考えられと思う。
 その先はすぐ「さいたま新都心」に入る。ここから先は●見事なケヤキ並木が続いている。江戸時代は松並木だったそうだが。 右手に●小さな祠が見え、火の玉不動尊と、お女郎地蔵を祀る。 説明板が後ろに架けてあり、長いけど読んでみて下さい。 右手一帯に●「コクーンシティ」というショッピングパークが広がっている。片倉工業大宮製作所跡地の再開発計画によるもの。     14:50

 ■氷川神社
 その先右手に●氷川神社一の鳥居があり、神社に通じる●参道が2km先まで真っ直ぐ伸びている。  江戸の始め頃まではこの参道が中山道だった。旅人が多くなったので寛永5年(1628)現在の大宮に抜ける真っ直ぐな道を作って、中山道とした。参道の先に●氷川神社社殿が鎮座する。今回は参道を通らなかったので、写真は前回のもの。
 この先、吉敷町交差点から大宮宿に入る.。   15:00 

2 蕨宿    4 大宮宿