中 山 道
 







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  13 高崎宿から板鼻宿へ  歩行地 図 
 新町交差点-高崎城-常盤町-鳥川-下豊岡-小林山-板鼻  9.7 km

13高崎宿
慶長3年井伊直政により城が築かれ、高崎と命名され、中山道随一の宿場町として、また物資の集散地・商業のまちとして大いに賑わった。街道筋の田町、本町、新町などに市が立ち、その様子は「お江戸見たけりゃ高崎田町、紺ののれんがひらひらと」と詠われたほど。その代わり宿場の機能としては貧弱で、城下町なので大名達は遠慮して、本陣、脇本陣はなく旅籠が15軒あるだけだった。
 本陣0 脇本陣0 旅籠15

 2007年9月16日高崎駅8.30着 晴天
 本日も残暑厳しく、水分補給に注意しないと
■高崎駅~市役所
●高崎城跡
 9:00
 駅西口を真っ直ぐ行くと、市役所脇に城址公園があり、ここが高崎城のあった場所。当時の堀の一部や復元された東門などが残っている。
●諏訪神社
 街道に戻り、新町交差点脇にある。小さなお宮であるが、造りが変わっている。土蔵造りで瓦葺き、彫刻も漆喰でできている。度重なる火災を受けた教訓として、火事に強いこのような社殿が造られたのだそうだ。

■市役所~本町1丁目
●大信寺
 9:20
 新町に戻り左折して先に進む。連雀町右手奥に大信寺があり、駿河大納言忠長が眠っている。秀忠の三男であったが、結局跡目争いに負け、自刃させられた。扉には徳川葵の紋がつけられ、由緒を感じさせる。門が閉じられ、簡単に入れる雰囲気ではないので入らずじまいでありました。
●土蔵造りの家
 本町三丁目付近にわずかに残る。ここは布団店

●黒い土蔵の家 9:30
 本町三丁目を左折し、1.2丁目へ向かう。左手に黒い重厚な土蔵造りの家がある。本町1丁目で広い通が終わり、「赤坂通」と呼ばれる細い道へ入る。
●高崎神社
  高崎の総鎮守。慶長3年(1598)井伊直政高崎城改築の時建立し歴代藩主の崇敬を集めているといいつつ、結婚式場の付属施設のような感じで、駐車場のために2階に上げられている。市指定重文の鰐口が有名だそうだ。

●岡醤油醸造所 9:50
 レンガ造りの煙突が珍しい醤油工場。HPで調べると、本店は大間々で、吸収されたようで本社は町田市のようだ。日本一しょうゆという製品があるそうだが、見たことない。売店が古風。
●山田文庫
 高崎の産業界で中心を担った山田家の居宅跡で、現在は図書館として公開されている。レンガ塀などが高崎の歴史を伝えている。

■君が代橋~追分
●君が代橋親柱 
10:00
 常磐町信号を右折して行く。道は「鳥川」へ出るが手前に、明治天皇が北陸東海行幸の時木橋を渡られた時を記念して命名された、「君が代橋」の親柱が保存されている。昭和52年にインターチェンジ建設の折、掛け替えられた鉄橋の親柱。この橋を初めて渡るには複雑で、自動車道を通ってしまったようだ。説明       ●高崎観音
 現在の君が代橋を渡るが、左手向こうの山に高崎観音が小さく見える。観音像は高さ42mのコンクリート製で今や高崎名物のひとつ

■追分~上豊岡
●追分道標
 10:20
  鳥川を渡って、すぐに右折して中山道を行く。広重の絵はこの辺りだと言われている。この先の酒屋の前を左折して行く。角に追分の道標がある。「右 くさつ道」と書いてある。ここ406号は草津街道というので草津へつながるようだ。
●若宮八幡宮
 ここの村社。神社の規模の割に、鳥居の向こうに山門が備わっているのが珍しい。昔「八幡太郎腰掛けの石」と呼ばれる名物石があったという話だ。

●ダルマの製造工房
 この通りは数軒、高崎名物、ダルマ製造工場があり、店先に目の描かれていない真っ赤なダルマが並んでいた。日曜で店は休みで作っているところはみられなかった。
●上豊岡の茶屋本陣 10:40
 立場に置かれていた大名や公家用の休憩場所で宿泊はできない。19世紀の初めに既にあった居住用の主屋と接続する離れ座敷として増築され、和宮御下向の際、公卿などが客人として立ち寄ったことがわかっておりますとのこと。中庭などが整備されている

■上豊岡~小林山
●養蚕農家だったと思われる家

 街道は国道18号と合流するが、その手前に養蚕をやっていたとわかる家が建っている。屋根に小屋根が乗っていて、室温を調節する。
●藤塚の一里塚 11:00
 国道18号に出る。左側には碓井川が流れている。土手沿いに一里塚が残っている。右側が残っていないが、石垣の上にお宮が立っているのが右側の塚の跡かもしれない。 

●少林山達磨寺 11:15
 碓井川の対岸には「高崎ダルマ」発祥の地となる達磨寺がある。途中の橋にダルマが乗っている。山門から真っ直ぐ石段が延々と続いている。あがって行くには暑いが覚悟して上がっていった。元禄10年、中国の渡来僧・心越禅師が開山し、方位方災を除くという北斗星を神格化した北辰鎮宅霊符尊と達磨大師を祭っている。本殿にはダルマがずらっと奉納さている

■小林山~板鼻
●上野国一社八幡宮
 11:45
 国道に戻るとひときわ目立つ鳥居が立っている。八幡宮の鳥居で、本殿は600m向こうのJR線路の向側にある。寄り道するには遠いと思ったけど、行かねばなるまいと行ってみた。かなり痛んでいる拝殿、本殿で、梵鐘まであり神仏混合の様式を残す。義家奉納の甲冑やら算額やらあるというが,わからなかった。釣鐘は昭和53年の作とか。

●寒念仏橋供養碑 12:10
 板鼻東の信号の先、橋があり、脇に橋供養碑が立っている。「かねつ橋の供養塔」とも呼ばれ、元々は旅人のため板鼻宿、念仏講中が寒念仏で集めた浄財で石橋を改修、さらに後に木島氏がさらに改修した。享保17年(1732)のこと。
●板鼻宿入口 12:35
 この先自動車ディーラー、群馬酒造(閉鎖中)の所を右に折れ、すぐ左手の細い道に入る場所が次の板鼻宿の入り口になる。 

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