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新町宿から倉賀野宿へ 歩行地図
 神流橋−諏訪神社−行在所公園−温井川−立石新田−柳橋瀬−岩鼻−追分   6.8 km
11新町宿
 この地域は中山道が開かれた当初は寒村で、街道が発展するにつれて、町並みができ始め、慶安四年(1651)に落合新町、承応二年(1653)に笛木新町が伝馬役を命ぜられたとされ、次いで享保九年(1724)に両方合わせて新町宿とされた。中山道の中で最も遅く成立した宿場なので新町宿という。
本陣2 脇本陣1 旅籠43

 2007年6月24日、本庄宿より続く。
■神流川古戦場〜弁天橋
●神流川合戦の跡碑

 橋を渡りきってすぐのところに神流川古戦場跡碑が建っている。説明板によると、天正10年(1582年)織田信長が本能寺に倒れた直後、関東管領滝川一益は信長の仇を討たんと京へ志し、これに対し好機来たれりと北条氏は五万の大軍を神流川流域に進めた。この地で大激戦を繰り広げ、滝川軍は戦死者3760人を出した。後世この地に石碑を建立し、近くには戦死者の首塚、胴塚なども残されているという。
●常夜燈(復元)
 この碑の少し先に大きな常夜灯が立っている。旧道はここで右に分かれていく。新町宿の入り口である。なお、この常夜灯は先ほどの神流川の群馬側にあった、見通し灯篭が実物大に復元されたもの。前に道標が立ち、「従是 左江戸二十四里 右碓氷峠 十一里」と彫られている。12:25

●芭蕉句碑
 昔はこの辺りに大きな柳があって茶屋があって、柳茶屋といった。宿の俳人小渕湛水らが柳にちなむ一茶の句を選して、天保10年頃句碑を建てた。
 『 傘におしわけ見たる柳かな 』 と刻まれた芭蕉の句碑が建っていた。後ろには八坂神社がある。
●新町の町並み
宿内の道路は歩道がカラー舗装され、道案内もきれいに準備されている。

●諏訪神社
 しばらく歩くと、右手に見える。笛木村の鎮守として本屋敷(駅周辺)に祀られたが、宝永五年(1708)に、現在地に移された。諏訪神社系の祭神は建御名方命。
●元禄時代の鳥居
 かって神社の入り口に建っていたもので、近年老朽化して危険なので、新しい鳥居に建て替えられた。そして神社の北裏に半分埋められた状態で保存されるようになった。

●於菊稲荷
 行在所公園の奥に建っている神社で少々派手目な印象。宿の大黒屋に於菊という娼妓がいました。重い病で床に伏してしまい、三年がたち、ある夜於菊の枕もとに稲荷の霊が現れて、於菊の病は奇跡的に全快しました。於菊はその神社を深く信仰し、それ以来この神社はいつからか於菊稲荷神社と呼ばれ、参詣人で大いに賑わったと言うことです。境内には文政六年(1823)、町人の浄財で作られた水屋がある。 12:50

●明治天皇行在所 
 明治天皇は明治11年8月から11月にかけ、北陸、東海地域の巡幸を行った。途中の9月2日に新町に宿泊した時の施設。木造瓦葺き平屋。行在所公園となっている。
●旅籠「高瀬屋」跡碑
 公園を出て、新町駅交差点のすぐ先に、碑があり俳人小林一茶が文化七年五月十一日に宿泊した旅籠で、川留で逗留していると、夜更けに突然起こされ、川渡りの助けのための灯籠を立てるためと石灯籠の寄進を強要され、幾度と断わったが、根負けして十二文寄付したという話が残る。今は駐車場になってしまっている。13:05

●小林本陣跡
 高瀬屋からしばらく歩き、右手に久保本陣があり、向側に小林本陣があったというが、久保本陣の方はなんにもない。小林本陣の方は小さな碑が立っている。(写真の右の白い棒状のもの)。建物は全然ちがって新しい。
●スリーデイマーチ記念碑
 小林本陣を出ると宿は終わりで、温井川が流れている。弁天橋が掛かるが右側に、スリーデイマーチ記念碑が建つ。数年前に参加した東松山で開かれる日本スリーデイマーチは発祥がこの新町だったそうで、知りませんでした。スリーデイマーチは30キロコースを歩いたが、実質34キロあり帰りの駅までほとんど足が動かなかった。しかしこの街道歩きも通算750キロ近くなり、30キロ程度はへっちゃらになりましたね。案内板    13:15

■弁天橋〜柳ヶ瀬橋
●弁天社

 スリーデイマーチ記念碑の向側が弁財天を祀る、弁天社で天明三年五月に建立された。元は温井川の中島にあったが治水の関係でここに移された。
●芭蕉句碑
 「むすぶよりはや歯にひびく泉かな」・・・・・この島には清水がわき出ていて、旅人ののどを潤したという句である。

 橋を渡り、右手の旧道を行く。この辺り立石新田と呼ばれ桑畑が広がり、養蚕が盛んであったという。右手には伊勢島神社があり庚申塔などがまとめておいてある。
●川端家住宅(登録有形文化財)
 白壁や土蔵を備えた豪壮な屋敷があり、後で調べると川端家住宅といい、蔵や住宅・別荘・大門など19棟が並んでいる江戸後期からの代表的な建物ですと。また元養蚕農家であったであろうと思われる●廃屋になりつつある農家もあり、養蚕の盛衰を見る思いがする。 13:30

●中山道お伊勢の森
 道は関越自動車道の下をくぐり鳥川の土手に出てしまう。中山道旧道はこの先あたりから消失して部分的にしか分からないという。烏川沿いにサイクリングロードがあるのでこれを歩く。土手下にこんもりとした場所があり、中山道お伊勢の森と呼ばれるらしい。残念なことに説明板の下部がはがれてしまって
よくわからない。祠や供養塔などが並んでいる。
●鳥川(柳瀬川)
 土手下には三菱鉛筆の工場などが並んでいる。旧道は一度左へ入っていくようだが、失われているので土手伝いに歩く。烏川は利根川の支流で大きな川である。昔はこの橋の下流250mの所で舟渡しが行なわれていて対岸の岩鼻村へ渡っていた。今は柳瀬橋で川を渡る。橋を渡り岩鼻交差点を左折しずーと行くと右手に追分の閻魔堂が見えてくる。ここが倉賀野宿の入口だった。 14:30

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