61 醒ヶ井宿から番場宿へ 歩行地図
 醒井東-加茂神社-醒井資料館-丹生川-河南-樋口-番場   4.1km
61 醒井宿
 古くは東山道の宿駅として栄え、「三水四石」と呼ばれる名所があることで有名だった。三水とは、「居醒の清水」、「十王水」、「西行水」を指し、四石とは「日本武尊腰掛け石」、「日本武尊鞍掛け石」、「蟹石」、「影向石」をこのように呼んでいた。ここには古くから「日本武尊伝説」がたくさん残っていて、元々醒井という名も名水が湧き出る泉で日本武尊が「目を醒ました」ところに由来する。町並は8町2間(875m)新町、中町、枝折村(しおり)と続く
本陣1、脇本陣1、旅寵屋11

2009年10月25日柏原宿からの続き
醒井東~加茂神社
 宿場はちょうど枡形道から左へ曲る所から始まっていて、手前の角に大きな「醒井宿」の石碑と右側に柏原宿の分間絵図がはめ込まれている。左に曲ると古い家もいくらか残っているが、人の姿が見えない中を進んで行くと、左側に加茂神社が見えてくる。とたんに人の声がしてきた。14:35

 神社の入口からこんこんと湧き出ているのが名水で知られる「居醒(いさめ)の清水」
 ここには「日本武尊」の銅像があり、居醒の清水は「古事記」や「日本書紀」にも記述がある。日本武尊が景行天皇から伊吹山の荒神退治を命じられ、気を失った時、ここの清水で体を浄め、ようやく正気に戻ったということに由来する。荒神とは古事記では「白猪」、日本書紀では大蛇になっている

 境内に日本武尊の腰掛け石、鞍掛け石、蟹石などもある。あと影向石を加えて、四石といい、その内の三石が見られる。日本武尊が腰を掛けた「腰掛け石」、その時に鞍を掛けたという「鞍掛け石」、そして「蟹石」という。細かい説明は説明板を見て下さい。影向石は西にある「源海寺」近くにあったが、草で埋没しているいう。また境内に●鮫島中将の歌碑」も建つが、これは明治28年、近衛師団長をしていた「北白川宮能久親王」が熱病にかかった時、お側にいた参謀長が醒井の清水を思い詠んだ歌という。

加茂神社~資料館
 醒井の町並
 居醒の清水を源流にしている「地蔵川」が道の脇を流れている美しい町で、JRの駅も近く観光客も多かった。その流れに沿って醒井宿の町並みが続く。川には梅花藻(ばいがも)という藻と絶滅危惧種の「ハリヨ」という魚が住み、両者とも水がきれいな所のみで生息できる種で、大切に保護・育成している。 

 加茂神社の隣にあるのが、延命地蔵堂。最澄が旱魃の為雨を求めて祈ったところ、地蔵蔵を造って安置したところ大雨が降ったという縁起がある。実際の地蔵像は鎌倉の作で背高270㎝を越える大型のもの。
 地蔵川に沿って歩いて行くと、川を挟んで左手に「本陣跡」碑が立てられている。現在は料亭樋口山となっていて、館内には宿泊した大名の名書いた関札が陳列されているとか。

資料館~丹生川橋
、本陣跡から少し歩くと「問屋場跡」が残っていて、こちらは現在醒井宿「資料館」になっている。残念ながら入る時間がない。
 向いはヤマキ醤油」。明治の創業で、白壁の袖卯建が美しく、醒井の湧水で仕込んだ醤油と味噌を現在でも造っている。
  14:40

 問屋場跡向かいに見える古い家は「江龍家」という。長く庄屋、問屋を勤めた家柄で、本陣並の規模をもっていたという。正面に「明治天皇御駐輦所」の石碑がある。
 やがて道は左右に分れ、旧道は左へ地蔵川を渡って行く。左手に見られるのが三水の一つ「十王水」がある。平安時代、天台宗の高僧浄蔵法師が旅の途中で見つけ、「浄蔵水」と呼ぶべきところ、近くに十王堂があったことからこの様に呼ばれるようになった。川中に「十王」と彫った「石灯寵」が置かれている。  

丹生川橋~樋口
 左手の旧道を歩くと、岩にのった五輪塔があり、「泡子塚」という。その左下から湧出てくるのが最後の三水と言われる西行水」である泡子塚というのは・・・西行がこのあたりの茶店で休んだ時、茶屋の娘が西行に恋してしまい、西行が飲み残した茶の泡を飲んだところ不思議にも懐妊し、男の子を生んだという。 その後、西行が再び立ち寄ってその話を娘から聞き、「もしわが子ならば元の泡にかえれ」と唱えたところ、子供はあっという間に泡となって消え去ってしまった。その後泡子のために、ここに供養塔を建立し、ここは西行水と呼ばれるようになったという。・・・・・
 西行水の先の交差点を越えた所に元は茅葺の家があり、ここは「六軒茶屋」と呼ばれ、六軒の茶屋が並んでいた最後の1軒という。茅葺はトタン屋根に変ってしまった。  14:55

樋口~番場
 中山道は丹生川を渡って国道を少し行くと、分岐点に出て、旧道は右へ入って行く。「河南」という。
 国道を過ぎると「樋口」という所へ出る。昔は立場で「名物はあん餅、清水流れてきよし・・」という所。高速道をくぐって行くと、正面に久礼(くれ)一里塚跡がある。「中山道一里塚の跡」と書いた大きな石碑がある。 

 一里塚を過ぎ、楓並木の道をくねくねと行く。昔は「松並木」が続くのどかな街道だったという。そんな田園地帯を抜けると右手に「中山道番場の宿」と書かれた大きな標識が見えてきて、この先が番場宿だった。
15:30

 
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