9 深谷宿から本庄宿へ        歩行地 図
 東常夜燈-行人橋-萱場-岡部-岡-傍示堂-本庄宿  10.8 km






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9深谷宿
 江戸から9番目の宿で、熊谷では飯盛女がいなかったのに対して、深谷宿ではほとんどの旅籠が飯盛女をかかえ一層の賑わいをみせた。そこで英泉は深谷をこのような風景を描いている。渋沢 栄一の生誕の地であり、深谷ネギも有名。又良質のレンガ材料を算出するので日本煉瓦株式会社が創立され、今も生産されている。
本陣1脇本陣4、旅籠80

 2007年4月8日深谷宿からの続き13:10
■原郷交差点から宿根
 ●深谷宿東の常夜燈見返りの松を過ぎ、深谷宿へ入る。右側に大きな常夜燈が立っている。宿はここから西の常夜燈まで1.7kmほど続いていた。こちらの常夜燈は明治の建立で、高さが約4Mほど、どちらも中山道最大級の常夜燈になる。
●街道の松
 昔は松の並木であったと思われる松が数本残っているけど、どれも上部が切られた形で延命処置でしょうか、見返りの松同様生きながらえさせるのは中々難しい。13:15

●旧商屋
 旅籠風造りの旧家でお米やさん。隣は土蔵造りの建物で、今はIT関係の会社であるが、多分昔は米やさんの蔵ではないかと思う。
●行人橋
 細見に出てくる橋で、細見ではここから宿の始まりとしている。左隣に橋の改修由来碑が立っているのだけど、摩滅してほとんど読めなかった。この先右折すると深谷城跡になる。13:25

●深谷城跡碑
 深谷城は、上杉房憲が康正2年(1456)古河公方との戦いに備えて築城したと伝えられ、秀吉の関東攻略により、天正18年(1590)落城した。江戸時代には、徳川一族や譜代の居城であったが、寛永11年(1634)廃城になった。面積20ヘクタールほどで土塁や深い堀を巡らしていた。深谷小学校校庭にその碑がある。
●深谷城公園
 学校のとなりが深谷城公園といって、城址に市民の心のふるさとと願って整備されたもので、旧城の図面も案内されている。石垣は新しいので、公園整備の際に築かれたものと思います。

●深谷駅舎
 レンガ造りの駅舎が有名なので寄ってみた。東京駅のレンガはここで焼いたことにちなんで造られた深谷自慢の駅。あちこちからいろんな角度から撮ってみたが、コンパクトデジカメ28ミリではポスターみたいなきれいな写真は無理でありました。
●本陣跡
 旧道に戻って先に進む。本陣跡が右手にある。現在飯島印刷所という。脇に案内板も立っている。宝暦2年(1752)から明治3年まで代々飯島家が勤めた。ビルの奥に「上段の間」「次の間」「入側」が残されているらしいが非公開。14:15

●造り酒屋(旧七つ梅酒造)
 見るからに歴史を感じさせる建物で閉鎖されている。詳細はわからないが、道の向側は地図で見ると滝沢酒造という会社がある。レンガ造りの煙突や土蔵造りの倉庫や「菊泉」という看板が掛かる建物が建っている。
●西の常夜燈
 天保11年(1840)江戸時代中頃から盛んになった富士講の人達の寄進による建立。この先線路際にある重要な史跡を通り過ぎてしまった.清心寺という寺で平忠度(たいらのただのり)の墓がある。忠度はこの先の岡部の六弥太忠澄に一ノ谷の戦いで討ち取られたが忠澄がこの地に葬ったといわれる。14:25

■宿根から岡下
●普済寺

 街道は国道と交叉して、滝宮神社を右に見て、再び17号と合流して、岡部に向かう。ここは岡部の六弥太忠澄出生の地となっているところ。地名と同じ寺が右手にある。
 岡部六弥太忠澄が栄朝禅師を開山とし建立した。本尊釈迦三尊、ならびに一百体の観音を彫刻して安置する・・(木曽路名所図会)というもの。本堂は最近のものらしく、モダンなスタイル。岡部六弥太の墓は、後方の畑の中にある。  15:05

●岡部六弥太の墓
 鎌倉時代の典型的な五輪塔が六基並んで建っており、北側の三基の内中央の一番大きな塔が忠澄の墓。右側が父親の行忠の墓、左側が夫人の玉の井の墓といわれている。忠澄の墓を削って飲むと子のない女子に子ができるという迷信の為、墓石が削られていて変形している。このためか塔は鉄の門で鍵が掛かっている。街道に戻る途中漬け物工場があり、生産はしていないみたいで大きな樽がゴロゴロ放置されていた。

●島護産蚕神社
 普済寺を過ぎると、街道はまた国道と分かれて右側に入っていく。岡とか岡下とかいう地名になる。ここにあるのが島護産蚕神社という変わった名前を持つ神社で、島護というのはこのあたりの南西島など島や瀬のつく地名の地域(四瀬八島という)が利根川の氾濫で被害を受けたため、この神社を守護神として信仰した為という。また産蚕の名前の通り養蚕が盛んの地域らしい。この近くに養蚕農家らしい家もあった。15:40

■岡下から本庄
●八坂神社の百庚申

 この先岡上に入ると、百庚申(中山道)という看が塀に掛かっており、看板に従い右折して進むと八坂神社があり、そこに庚申塔がずらり並んでいる。案内板によると、・・・これらが建てられたのは幕末、万延元年(1860)の庚申の年で、岡の有志十三人で計画され、翌年の万延二年にかけて完成を見た。このことは、庚申塔群の中に大型の板石に庚申と記した庚申塔があり、その裏面に刻まれた十三人の氏名から、うかがい知ることが出来る。・・・
●滝岡橋
 小山川に架かる橋。旧道はこの西150mほどのところを渡っていた。両側4カ所に照明塔らしきものが立っていて珍しいと思った。電気照明かと思ってのぞいたら何もなく、ススがついていたのでガス灯かもしれない

●八幡大神社
  道なりに進むと、右手に「藤田小学校が」あり、その先左手にあるのが八幡大神社で、建久年間(1195)に児玉党の一族牧西四郎広末が、鎌倉の鶴岡八幡宮を奉遷して祀ったもの。
文明三年(1471)兵火に掛かって焼失、廃社になっていたのを慶長十七年(1612)信州佐久郡依田荘の依田五郎左衛門が再興。依田氏が後に宮崎と改め、神主として代々奉仕した。
奉納される宮崎組神楽というものが市の文化財になっている。その為か神楽舞台がある。
●長屋門の医院
 名主か庄屋かという立派な門、白壁をそなえた医院が建っている。このあたり「傍示堂」という地名で昔は立場だったという所。一里塚もあったというが探してみたけどないのではないかと思う。16:30

●御堂坂
 この先は17号線を越える。ゆるい坂になっていて「御堂坂」という立派な名前がついているが、たいした坂ではなかった。しかし歩道が高く、車の出入りのため、削られてもおり自転車で通るとアップダウン状態になってしまうし、歩きにくくもありどうかと思う。歩道工事もやっていたが、削る工事なのだろうか。
このあたりが本庄宿の始まりになる。
●本庄駅  17:05   本日はここまでで、17時過ぎの電車で帰宅した。30.4km

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