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 17 碓氷峠から軽井沢  歩行地 図
 中山道バス停-碓氷峠-熊野神社-中軽井沢  13.5 k

碓氷峠  
 いよいよ中山道三大難所の一つ、碓氷峠を越えていく。坂本側から行くと坂本の標高は約450m、峠は1200m。直線距離で8km間に700m位上る必要がある。軽井沢の標高が960mなので軽井沢側からの方が楽である。現に今回軽井沢側からマウンテンバイクで降りてきたグループがあった。問題は峠までは道は一本で迷うことはないみたいだけど、峠から軽井沢まで方法がいくつかあり、ガイドブックでは遊歩道か国道が多い。本来の旧道は通れないといわれていて、通ったという例が少ない。行ってから考えることにする。

2007年11月4日坂本宿よりの続き
■碓氷峠道~覗
●中山道口
  12:15
 
線路跡を過ぎると、国道へ出て、正面ががバス停「中山道口」で、東屋風停留所になっている。入り口には案内看板、「安政遠足」の「標識が立っていて、峠までは「遠足」の標識に従えばよい。上り始めるといきなり階段が現れる。急斜面でぐ--と登る。トレッキングポールも持ってきた。

 入り口から7分くらいで、●常峰番所跡につく。「横川関所」の出先機関だった関所が置かれ、関所破りを見張っていた。また急な坂が続き、瓦礫の続く道を上がる。やがて●「柱状節理」の説明版がある場所に着く。火成岩が冷却し柱状に割れた岩盤が露出している。またここに●「馬頭観音」「大日尊」などの石碑が並んでいる。

 ■覗~四軒茶屋
●覗き
  12:45 
 その先左手に「上り地蔵」、「下り地蔵」の案内板があるが、案内板だけ立っていて、肝心の地蔵がいない。入口から30分ほどで、覗きという展望台のような場所に出る。昔から上がってきた坂本宿がよく見える場所で有名な所。町並みが整然と並んでいるのがよくわかる。宿を眺めていたら軽井沢方向から、マウンテンバイクが何台も降りてきた。軽井沢から200mも上がれば峠なので峠越しは楽かも。道も舗装道路だし。上から来た人が熊鈴鳴らしていたので、一応自分も下げておいた。この先あちこち「熊出没」の紙が貼ってある。

 その先左手に「風穴」(溶岩の裂け目から水蒸気が噴出している)を見ながら進むと、道は緩やかだが、川が流れたか細くなっている。右側に●「弘法の井戸」がある。弘法大師からここを掘れば井戸が沸くと教えられたといういわれがある。今でも水が出ていて大きなひしゃくが置いてある。井戸を覗くと、飲めるといわれるが、きれいかどうかわからず、ちょっと遠慮しておいた。

■四軒茶屋~座頭ころがし
●四軒茶屋跡
 12:55
 井戸からすぐ上で道が平になってくる。ここに四軒の茶屋があった跡,現在でも石垣や墓が残っていると案内板には書いてあったが、石垣とはどこかよくわからなかった。この先は杉並木で、平坦であって、大変歩きやすく、気持ちがよい道が続く。左手に平安時代の碓氷坂の関所跡の看板のところに東屋があって、休憩によい

●掘り切り   13:10
 広い道が突然両側が切られている。天正十八年豊臣秀吉の小田原攻めで、北陸・信州軍を,松井田城主大導寺駿河守が防戦しようとした場所。
●南向馬頭観世音
 この切り通しを南に出た途端に南側が絶壁となる。昔この付近は山賊が出たところと言われ、この険しい場所をすぎると、左手が岩場となり、そこにまた馬頭観世音が道端にある・・看板よ

■座頭ころがし~熊野神社
●座頭ころがし

 急な坂道となり,岩や小石がゴロゴロしている。それから赤土となり,湿っているので,すべりやすい所である。同じ名前の坂が甲州街道「野田尻宿」にもあったのを思い出す。
●捨てられた廃車  13:25
 これが碓氷峠では有名な、車が捨てられている場所。みんなどのようにしてここまで持ってきたが不思議がっている。なるほどその通りで道がない。

●栗が原  
 ずっと平坦な道が続く。やがて左側の立入禁止の札がある先は明治天皇御巡幸道路といわれた道で、国道の碓氷橋へ出る。中山道と追分の形になっていて、明治八年群馬県で最初の「見回り方屯所」があった。これが交番の始まりであるといわれる。中山道はここを北に向かう。落ち葉でサクサクと歩く。平らな道である

●山中茶屋跡
 は峠の真中にある茶屋で、寛文2年(1662年)には13軒の立場茶屋ができた。明治のころには小学校もあったという。付近には石垣なども残っている
●陣場が原   14:20
 真っ直ぐ行く道が、和宮が降嫁される時に開かれた道で、比較的広く安全な道。本来の旧道は看板の出ている場所を左に下りていく。当然そこを行くが、そんなに難しい道ではなかった。

●「化粧水跡」
 峠を登る人々がこの水で姿・形を直した水場である。右側の小川には水がちょろちょろと流れていた。その先人馬の労をねぎらう休憩所だった「施行所跡」がある。笹沢のほとりに,文政十一年江戸呉服屋の与兵衛が,安中藩から間口十七間,奥行き二十間を借りて人馬が休み家をつくった。旅費の乏しい旅人の為の茶屋であった。

、 施行所の左側が、川になっており、橋があるわけでもなく、石伝いにトントンと渡る。大雨の時には渡れるかどうかわからない。これから先に道がが大変で登りばっかり、どんどこ登って一汗かいてしまう。ここを「長坂道」という。やっと熊野神社への標識の所を右折する。合流点に「思婦石」が建っている。群馬郡室田の国学者関橋守の作で「日本武尊」の故事をうたったものとだという。  14:45

 ■熊野神社~遊歩道
●碓氷峠頂上
  15:10
 やっと峠頂上に到着する。入口から3時間程度であった。名物「力餅」を売る茶屋が数軒並んでいる。右手は「安政遠足」のゴールの熊野神社。ここは群馬県と長野県の県境にあたり、茶屋の前に「日本分水嶺」の看板も出ている。茶屋の「見晴亭」という店に入り、「力餅」をいただいた。1口サイズのあんこ味で、他にきなこやごまもある。

 ●熊野神社
 「八咫烏(やたがらす)」縁起を持つ日本武尊勧請の神社。軽井沢側からは国道で簡単に上がってこれる。結構人出もいた。
 鳥居の両脇にある素朴な狛犬は、普通の怖い顔をしておらず、ユーモラスな顔をしている。室町時代中期の作で長野県最古のもの。

●日本武尊「吾妻者那」詠嘆の碑
 日本武尊が亡き妻、弟橘比売命を偲び、東南を望りて三たび嘆きて曰く「吾嬬はや」とのたまふと日本書紀の記録にある。ちなみに古事記では足柄峠ということになっている。
●旧中山道  15:20
 さてここから下る道が問題で、駐車場の脇に「旧中山道」の標識があり、下る道がここ。この道は進んでいくとわからなくなるので止めた方がいいという意見が多く、ここを下ったのは「ももんが」さんのHPくらいしか見ない。国道も「明治天皇御巡行道で明治11年改修された」由緒ある道だそうだけど、車道で面白くないし、また登山靴を履いてきてしまって、縁が足に当たって痛いしで、散々迷って遊歩道を下ることとした。遊歩道も一部旧道に合流するようなのがせめての救い。

■遊歩道~軽井沢
●遊歩道入口
  
 段々過ぎて暗くなるので先を急ぐ。落ち葉で柔らかく歩きやすい。クネクネと迷うことなくずんずん進む。誰一人も歩いていないかった。
 ●国道に歩道橋が架かっている。途中小さな小川に木橋が架かっている所を数カ所渡る。 
15:50

 やがて、●吊り橋が現れて、渡ると別荘地で、あちこち別荘が散在している。別荘地を過ぎて、峠頂上から下りてくる、県道に合流し、ちょっと行くと、橋が見え●二手橋という。軽井沢に泊まった旅人は、江戸へ行く場合、飯盛女に送られてここまで来て、 名残りを惜しみながら東西二手に別れたことがその名の由来である。
16:25

●ショー記念像     16:25
 二手橋を渡ると右手にショー記念像と教会がある。ショウは軽井沢がスコットランドに似ていると紹介して軽井沢を避暑地として広く紹介し、現在の軽井沢の基礎を作った人物。
●芭蕉句碑
 野ざらし紀行の一句。芭蕉150回忌で1843年(天保14)に建立された芭蕉句碑。
                                      「馬をさへ ながむる雪の あした哉

 ●軽井沢宿  16:30
 芭蕉句碑を越えると賑やかな旧軽井沢の町に入ってくる。当時の軽井沢宿はこの付近から始まっていた。11月だけど軽井沢の町は結構人出が多い。夏は喧噪そのものだけど、今は落ち着いている。ただ峠を越えてくるような酔狂な者はそうそうおらず、場違いな感じはする。さて本日はこれまでで帰ることにしますが、帰りの新幹線は大混みで大宮まで立ちんぼでした。中山道はこれから冬に入り雪も降ると思いますので、4月頃まで小休止します。再開は暖かくなってから。

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