28和田宿から下諏訪宿へ 歩行地 図
 和田宿−鍛冶足−一之橋−接待−東餅屋−和田峠−西餅屋−桶橋−町屋敷−下諏訪  21.7 km
28和田宿 
 中山道最高の標高の和田峠(1600m)を控え、また次の下諏訪宿まで五里十八町(約22km)と距離があったため上がり下がりの旅人で賑わった。しかし文久元年(1861)の大火で宿の3分の2程が焼失してしまった。しかも和宮の通行も控えており、突貫工事で復旧した経緯がある。現在も旧本陣や古い家屋が修理保全されている。宿周辺の産物に黒曜石がある。
本陣1 脇本陣1 旅籠28

 2008年7月7日。前日宿内見学後本亭旅館に宿泊しました。同宿は2人だけ
●和田宿町並み
 和田宿は文久元年の)大火で3分の2を消失、全国から大工などを集めて4ヶ月で再建したため古い建物もかなり残っています。
追手川橋を渡ると賑やかな商店が連なっていたという。維新後、しだいに寂れてしまいます。●旅籠屋「河内屋
 元旅籠屋で、江戸時代後期の様子をそのままに残している貴重な建物で、現在は和田村が管理していて街道資料館のようになっている。解説板

河内屋を過ぎると道沿いには左手に●問屋跡など。右手にも古い建物が並んでいる。
 大大火後の再建のものと思うけど、出桁造りで連子格子のついた旅籠様式よく伝えています。

●「かあちゃん家」
 名主羽田家ですが、現在は、「かあちゃんの家」として地元の料理を食べさせる食堂としても利用されている。
●「石合家」
本陣の斜め向かいにある。長久保宿本陣と同名の家であるので、同族であろうか。大きな建物である。

●和田宿本陣跡
 ここは一時「和田村役場」(昭和59年まで) として使われていた事もあった。役場移転で解体の危機にあったが、昭和61年に解体修理復元され、本陣跡として一般公開されている。当時の本陣は大名が泊まる「座敷棟」と本陣の所有者が寝泊まりしていた生活棟のいわゆる「居室棟」に分かれていたが、現存しているのは居室棟の方で、皇女和宮が宿泊したという「上段の間」などがあった座敷棟は失われてしまったという。解説板

●脇本陣「みどり川」家
 バスターミナルの右側、少し奥まった所に門構えの脇本陣翠川家。上段の間、二の間などが残っているようです。
●「本亭旅館」
 街道歩きの者には有名な旅館で、私も宿泊しました。昔は庄屋だったそうで、「中山道和田宿旅人御宿本」の看板がかけてあり、広間には高札や昔の写真などが置かれていました。参考HP・・・・・http://www.konoha-house.com/nakasendo/y06hontei.htm

 本亭に宿泊後、和田峠へ向かいます。前日夜激しい雨で、行こうかどうか、さんざん迷いましたが、下諏訪まで行かないと東京へ帰れないし、朝にはやんでいたので強行しました。 宿はづれには●「高札場跡」があり、バス停「鍛冶足」付近で、和田宿の範囲もだいたい途切れます。ここまでくると商店もなにもなくなりました。
7:40

 宿場を離れると旧道は国道142号線に出てしまうが、ちょうど交差点には●「一里塚跡」が残っている。日本橋から数えるとちょうど「50番目」 一里塚跡には立派な「中山道碑」なども置かれている。依田川沿いに狭い旧道に集落が並ぶ。また、「バス停大出」近くには「道標」も残っている。なお、しばらく歩くとまた国道142号線に合流する。国道に出ると「発電所」の水路が見られ、緩い上り坂になっている。7:55

 車に注意しながら歩くと国道沿いには「ドライブイン」が何カ所か見られるようになる。ドライブイン「杉の屋」のある付近は当時「牛宿」と呼ばれ、牛専門の宿があった所といわれている。
 現在のバス停名は「中宿」で、国道はゆっくり上っているが、しばらく歩くと「唐沢橋」を渡った左手に「旧道入口」の看板が立っている。ここが和田峠の入り口かどうか迷ったところだけど、一応入ることにした。
8:40 和田峠へ続く

 
27 長久保へ   
 
  和田峠へ