23塩名田宿から八幡宿へ 歩行地 図
 塩名田宿東-中津橋-御馬寄-下原-八幡宿  2.6 km
23塩名田宿
  前の岩村田宿、次の八幡宿への距離は短いが、ここに定められた最大の理由は、千曲川という荒川を前にしていたことで、宿の最大の任務は千曲川往還を確保することにあった。この宿は千曲川川留めで潤うこともあったが、往還の確保が厳しく、氾濫で打撃にもなったので、大きく発展することができなかった。
本陣2 脇本陣1 旅籠7

2008年7月5日、岩村田宿より続く■塩名田東~中津橋
●町並み
 当時の宿入口は五差路になっている所からで、塩名田」という名は、江戸時代の信州では塩はとても貴重品で、その塩が運ばれてくるルートを「塩の道」と呼び、「塩尻」などにその名が残っている。ここもこの名残と思われる。街並みは、落ち着いた風情のあるものだが、「本陣・問屋跡」があるほかは、古い家が2.3見られる。ここも●旧宿の看板が下げられて宿を保存する意識はあるように思う。16:40

●本陣跡
 やがて右手に見えてくるのが当時二軒あった本陣の一つ●「丸山家」で、現在ここの建物は「浅科村の文化財」に指定されている。この家は「本陣」だけでなく当時は「問屋」も兼ねていた。
また、もう一つの本陣は少し手前の左手にあったらしいが、こちらはすでに失われてしまったという。本陣向かい側の公民館脇にも古い家(佐越、佐藤家)が見られるが、ここは塩名田宿でも「最古の家」だという。 16:50

 郵便局の前に、うだつを備えた白亜の土蔵造りの●大和屋がある。建物は全く新しいが看板は昔の屋号なので古い老舗であろうか。酒屋となっている
●海老屋豆腐店
歴史を感じさせる店だ。はっとして気がついたが、ここら辺、建物が街道に対して斜めに建っている。坂本宿でも韮崎でもあった。街道の見張りとも、行列が通るときに陰に隠れるので長く座っていなくてもよいなどの説がある。

 千曲川に近づくと、枡形の形をとり、、川原の方へ降りて行く。この辺りは「河原宿」と呼ばれていた。ここにも出桁造りで2階に桟を設けた旧家などが数軒残り、千曲の渡しを控えた賑わいの痕跡を残している。旧宿の屋号の看板 も下げられたりしている。川原には渡し船が荒れた川に流されないよう繋ぎとめていた舟つなぎ石が残されている。  舟つなぎ石の説明版
16:55

 ■中津橋~八幡宿
●中津橋
 現在は千曲川を、ここ中津橋で渡る。昔は橋を架けた時もあったが、洪水で度々流され、渡し船で渡っていた。
●千曲川
 千曲川は「千曲川旅情の歌」などに歌われ、風情のある、緩やかな川に思われがちだが、実際には名前のとおり曲がりくねった急流でも知られ、水かさが増すと難所に一変、旅人を苦しめていたという。17:00

 千曲川対岸は「御馬寄」と呼ばれていた集落で、御馬寄の名は古代に馬を集める牧場があったからだという。
なお、ここからは緩い上り坂で、国道がやや右に曲がる付近には一部昔の旧道部分が残っている。
●大日如来座像・芭蕉句碑
 また、その先の小高い丘には「大日如来座像」が置かれている。脇に「芭蕉句碑」も建立されている。再び国道に戻ると右手にあるのが「一里塚跡」碑で、ここは「御馬寄一里塚」と呼ぶ。

ここからは緩い上り坂の一本道で、しばらく歩くと「下原」に変わっていて、
、交差点右手には●古い門のある家も残っている。旧道から下りていくと左方向奥に、次の八幡宿の集落が見えてくる。時間が無くなってきたので少し吹っ飛ぶないといけなくなった。
八幡宿に続く。
17:25

 
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